夏の朝は、空気からして違う。
窓を開けた瞬間に入ってくる湿った熱気と、どこか遠くから聞こえる蝉の鳴き声。まだ早い時間なのに、すでに日差しはやる気満々で、カーテン越しでもその強さがわかる。
朝の匂いと音
台所から聞こえる、麦茶を注ぐ音。
氷の入ったグラスに麦茶を注ぐと、「カラン」と心地よい音がして、もうそれだけで夏のスイッチが入る。
子どもの頃は、麦茶が冷蔵庫に常備されているのは当たり前だったけど、大人になってからは、それが立派な“夏のごちそう”だったんだと気づいた。
朝の外は、まだ少しだけ涼しい。近所の人が庭に水を撒くホースのシャーッという音がして、アスファルトが濡れると一瞬ひんやりした匂いになる。これがたまらない。
夏の昼間は、ちょっとした耐久戦
昼になると、もうエアコンをつけるしかない暑さになる。
外では蝉が全力で鳴き続け、家の中でも冷たいものを求めて冷凍庫を開ける回数が増える。
スイカを切るときのシャクッという音、かき氷を削るガリガリという音、アイスの袋を破るビリッという音。夏はどうしてこんなに“音”が豊富なんだろう。
扇風機の前で「あー」って声を出すのも、毎年やってしまう。大人になっても、あれはやめられない。
夕方の魔法
夕方になると、昼間の熱気が少しずつやわらぎ、空がオレンジ色に染まる。
遠くで聞こえるのは子どもたちの花火の音。パチパチと弾ける音に、ちょっと焦げた火薬の匂いが混じってくる。
花火をしている子どもを見ると、自分も昔は同じように、手持ち花火を最後までじっと見つめていたなと思い出す。火が消える瞬間まで、なぜか目を離せなかった。
夜の涼しさと、夏祭りの思い出
夜になると、少し涼しい風が吹き始める。
縁側やベランダで風鈴の音を聞きながら、冷たい飲み物を飲む時間は、夏の中で一番落ち着く瞬間かもしれない。
夏祭りの記憶は、いつも鮮やかだ。
焼きそば、かき氷、りんご飴の甘い匂い。
金魚すくいで金魚を持ち帰ったけど、次の日には水槽の中でじっとしていて、なんだか申し訳ない気持ちになったこともある。
浴衣の裾を気にしながら歩いたあの日、夜空いっぱいに広がった大きな花火は、今でも目を閉じれば思い出せる。
夏は短いからこそ
夏は、始まったと思ったらあっという間に過ぎていく。
蝉の声が小さくなり、夜風が少し冷たくなったとき、ああ今年の夏も終わるんだなと感じる。
だからこそ、一瞬一瞬が特別に思える。
冷たい麦茶も、汗をかいたアイスコーヒーのグラスも、夕焼けに染まる街並みも、ぜんぶ記憶に刻みたくなる。
今年もまた、そんな夏を過ごしている。